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第一部◎東アジア情勢の変革期1111 春かす日が大たい社しゃの本ほん殿でんの祭さい神じんは四よん柱ばしらで、武たけ甕みか槌づちの命みこと・経ふ津つ主ぬしの命みことと、藤原氏の祖そとされる天あめの児こ屋や根ねの命みこととその妻の比ひ売め神がみである。前者の二ふた柱はしらの神は、鹿島・香か取とりから鹿にのって奈良に来たという伝承を持つ。一方後者二柱は、河か内わち・枚ひら岡おかから遷うつしたとされる。 この春日大社の祭神の様よう相そうを踏まえて、鎌足の一族は、元々鹿島・香取神宮に奉仕する中臣一族で、守屋の変以降中央に移住して本流となったため、鎌足鹿島出生伝承がある、という見解と、河内東部、枚岡を本拠としていた一族で、鹿島出生伝承は別に論じるべきとする見解がある。 いずれにせよ、中臣氏は政治よりも神祇祭祀を専門とする家柄で、鎌足の父御食子の代にようやく大夫層に食い込んだ中小豪族であり、元来は大臣を出す家柄ではなかったと考えられる。 中大兄皇子・中臣鎌足の事じ績せきを伝える史料は、正せい史しの『日本書紀』にほぼ限られる。当該期の出土文字資料は極めて少なく、同時代資料は存在しない。『日本書紀』以外の資料としては『藤氏家伝』『万まん葉よう集しゅう』『日に本ほん霊りょう異い記き』『懐かい風ふう藻そう』『大だい安あん寺じ伽が藍らん縁えん記ぎ并ならびに流る記き資し財ざい帳ちょう』などが挙げられるが、とりわけ『藤氏家伝』は情報量が多い。 『藤氏家伝』は、奈良時代半ばに藤ふじ原わらの仲なか麻ま呂ろ(恵え美みの押おし勝かつ)によって編へん纂さんされた「藤原氏の歴史書」で、列伝形式を取る。今日伝わるのは、鎌足伝・貞恵伝・武む智ち麻ま呂ろ伝でんで、正史に採用されたものとは別系統の、藤原氏の中で伝わっていた素材や伝承を含んでいる。 仲麻呂による祖先顕けんしょう彰事業という性格から、記載内容は藤原氏を賛美するものである点は考慮する必要はあるものの、貴重な情報を含む資料である。本書の記述は、ほぼすべて『日本書紀』と『藤氏家伝』に依い拠きょしている。【コラム】『藤氏家伝』

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