Nakanooenooji_Nakatominokamatari
12/62

第一部◎東アジア情勢の変革期1212⑶ 隋ずい唐とう帝てい国こく登場 中大兄皇子と鎌足の時代は、国内の変へん革かく期きであったが、それは東アジア全体の国際的な動きの中でもたらされた変革期でもあった。こうした時代・社会が、二人を必要とした結果、彼らが生みだされたとも言うことが出来よう。二人の活動や歴史的役割は、この東アジア世界情勢全体の中で理解する必要がある。 中国では、天てん命めいを受けた天てん子し=皇帝が天てん下か=世界を統治し、皇帝のいる空間こそ世界の中心である、という中華思想のもと、中国本土はもとより、周辺諸国にも皇帝の徳を及ぼさねばならないと考えられていた。また王朝の安定のためにも、周辺諸国との外交は重要だが、その際に今日的な対等な関係は、原則的に存在しない。あくまでも「天子」を擁ようする王おう朝ちょう側が、周辺諸国の上位に君くん臨りんするべきで、もし周辺諸国が臣しん従じゅうしないのであれば軍事力によってでも屈くっ服ぷくさせることもあった。 古代の中国王朝にとって、主たる敵対者は匈きょう奴どなど北ほっ方ぽうの遊ゆう牧ぼく・騎き馬ば系の民族・国家だが、東とう方ほうの諸国も、時に北方騎馬民族に連なる勢力として、中国王朝の関心の対象であった。漢かん代だいには、朝鮮半島に楽らく浪ろう郡・帯たい方ほう郡等の直ちょっ轄かつ郡が設置された。ただ、こうした周辺への強力な圧力は、王朝に実力が伴った場合に前面に出てくる。端的に言えば、中国が内乱状態にあれば周辺諸国は自由に発展出来るのに対し、中国が統一されると強大な圧力のもと多くの抑制がかかる。 そして、西せい晋しん滅亡後五ご胡こ十じゅうろっ六国こく時代・南なん北ぼく朝ちょう時代と長らく統一王朝が存在せず、複数の王朝が並へい立りつしていたが、589年に隋ずいによって統一された。内乱状態時には、中国の内側に向いていたエネルギーが、強力な統一王朝の出現によって外側=周辺地域に向くようになったのである。東アジア諸国は、隋を中心に外交関係を展開する様になる。 隋が中国を統一した当時、朝鮮半島地域は、北に高こう句く麗り、南西に百く済だら、南東に新しら羅ぎの三さん国ごくが鼎てい立りつしていた。三国にとって、久ひさ方かたぶりに現れた新たな統一王朝との外交は、かつて直轄支配を受けたような距離的な近さからも、直ちにその重要性が認識された。百済は早く統一前の581年に、新羅は594年に隋へ遣けん使しし、関係の構築に努めている。 一方、高句麗は隋と直接的に対峙していた。高句麗は騎馬系民族の流れを汲くみ、歴代の中国王朝が手こずってきた北方の遊牧系諸民族と関図 4 隋と唐の最大領域山川出版『詳説世界史』より一部改変

元のページ  ../index.html#12

このブックを見る