Nakanooenooji_Nakatominokamatari
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第一部◎東アジア情勢の変革期1313係が深い上に、漢代以来の中国文明の影響を受けてきた、非常に危険な強国である。隋は612年、皇帝煬ようだい帝が自ら大軍を率いて、高句麗を攻める。この遠征は隋側の失敗に終わり、結果的に隋から唐とうへの王朝交替を引き起こす引き金となった。 統一中国王朝と朝鮮半島諸国の関係が、政治的・外交的圧力に留まらず、ついに軍事的衝突を引き起こすに至った。高句麗はよく健闘して隋の軍事圧力を跳ね返すことに成功したものの、こうした戦争を目の当たりにして、高句麗以外の百済・新羅も、隋の圧力を切実に感じ取ったに違いない。 隋は短期間に唐へと王朝交替したが、巨大な統一王朝という点では唐はさらに大きな力を持っていた。唐は7世紀前半には、懸けん案あんであった北方・西方の諸国を圧倒し、勢力を拡大した。隋と唐は、通常一括して「隋唐帝国」と称される。隋唐帝国にとっては、隋が高句麗の強靱さに足をすくわれて滅亡したように、高句麗は重要な政治的課題となっていた。そして高句麗の背後に控える百済・新羅、さらには倭も、遠交近攻や高句麗の孤立化を目指すといった観点からも、急激にクローズアップされるようになってきていた。 隋唐帝国の登場は、朝鮮三国や倭やまとに、激しい国際的緊張をもたらしたのである。そしてそれらの国々では、厳しい国際関係の中で生き残るために、国力の増大や意志決定の迅速化、挙きょ国こく一いっ致ち体制の確立などを目指して、急激に国内改革が進められていった。

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