Nakanooenooji_Nakatominokamatari
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第一部◎東アジア情勢の変革期1515のは王族の金こん春しゅん秋じゅうであり、さらに金春秋を支えていたのは金きん官かん伽か耶やの王族出身=新羅の伝統的な貴族ではない武将・金庾信であった。女王を擁立し、それを有力な男性王族が支え、さらにその男性王族を伝統的貴族層出身ではない有力な臣下がサポートする、という類型である。 古くは、高句麗が優勢で、百済・新羅がそれに対抗するという構図であった。隋帝国成立直後は、百済も新羅も、隋との外交を通じて高句麗を牽けん制せいすることを画策した。だが、7世紀半ばには、高句麗・百済の同盟が成立し、新羅と対峙するようになっていた。劣勢に立った新羅は、積極的に唐との外交・同盟を模も索さくした。 高句麗・百済も唐との外交を結び、直ちに対立関係に陥ったわけではなかったが、潜せん在ざい的に存在していた中国王朝と高句麗の緊張関係が、泉蓋蘇文のクーデター以後顕けんざい在化するようになった。その結果、唐・新羅連合対高句麗・百済連合という構図が形成された。倭わ国こくはこの構図の中に直接組み込まれたわけではなかったが、決して無む縁えんでは居られなかったのである。 新しら羅ぎの善徳女王は、百くだ済らの進軍を予言するなど、呪術的な力を持っていたと伝わる。善徳女王即位の背景に、こうした呪力への期待が存在したとも指摘される。一方、皇こう極ぎょく女帝も、蘇我蝦夷が雨あま乞ごいをしてわずかにしか降こう雨うがなかった後に雨乞いを行い、大雨を得たと伝わり、やはり強力な呪力を有していた。新羅と日本の女帝の即位には様々な条件・理由が存在していたと考えられるが、こうした呪術的な力の存在も無視できないであろう。合理的な権力体制をとった「近代的」な高こう句く麗り・百済が滅亡し、呪力を重視するような「未開」な新羅・日本が生き残ったというのは、大変興味深い。【コラム】女王の呪力

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