Nakanooenooji_Nakatominokamatari
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第一部◎東アジア情勢の変革期1818ことが目指されたためであろう。なお、新羅の体制とは、政権を構成する臣しん下かが、王族と対等の実力を有する伝統的貴族である点が大きく異なる。 この様に、東アジア情勢の変化に対応するために、安定した政権が求められた結果、推古朝の体制が生まれたと判断される。さらに、上述の改革に伴って朝廷への権威・権力の集中は進んでいった。しかしながら、朝廷内部での権威・権力の集中点は定まっておらず、微妙なパワーバランスの上に成り立っていた。そのため、わずかな変化によって大きく変化する怖れがあった。また東アジア情勢の変化や変化の情報、留学生等がもたらす最先端の知識・技術は、国政の変革をより加速する必要を感じさせるものであった。 こうした情勢の中、厩戸皇子(聖徳太子)が、推古天皇が薨こうじる。時代と国際関係は政権の変化を求め、政権内の力関係の変化は政権の変化を惹じゃっ起きしたのである。

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