Nakanooenooji_Nakatominokamatari
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第二部◎乙巳の変2626⑷ 計画 中大兄皇子と中臣鎌足の出会いの物語は、あまりにも著ちょ名めいである。 鎌足は、中大兄皇子に注目するものの、接点がなかった。たまたま中大兄皇子が飛あすかでら鳥寺槻つきの木きの下で打だ毬きゅうをしていた際に、はずみで靴が脱げてしまったのを鎌足が拾う。そして、靴を中大兄皇子に捧ささげて、知ち己きを得た。 脱げた靴を拾って捧げ、それが機き縁えんとなって君くん臣しんが深く結ばれるという物語は、後述する新しらぎ羅の金こん春しゅん秋じゅう(武ぶ烈れつ王おう)と金庾信の間にもあり、伝説の一つのモチーフだった様である。靴が脱げたのではないにせよ、何らかの「仕組まれた偶然」とでも言えるようなタイミングで、二人は出会ったのであろう。 その後、二人は急速に接近する。『日に本ほん書しょ紀き』によれば、周囲に気づかれないように、南みな淵ぶちの請しょう安あんの塾で周しゅう孔こうの教えを学び、その往復の路上で様々に相談したという。上述のような、先進知識摂取の風潮があればこそのカモフラージュである。  鎌足はまず、蘇そ我がの倉くらの山やま田だの石いし川かわ麻ま呂ろを味方に引き入れることを計画した。石いし川かわ麻ま呂ろは蘇そ我が氏一族の有力者である。石川麻呂の娘を中大兄皇子の妃みめに迎え、関係を密にした後にクーデター計画に引き込もうという案で、中大兄皇子も同意した。鎌足が仲なか立だちとなって石川麻呂と交渉にあたり、同意を得た。ところが、ここで一ひと悶もん着ちゃく発生する。当初中大兄皇子に嫁とつぐ予定となっていた姉が石川麻呂の弟武むさし蔵(身む狭さし)によって盗まれるという事態が発生し、石川麻呂は大いに困こん窮きゅうする。妹が自ら中大兄皇子に嫁ぐと名乗り出て収しゅう拾しゅうされるに至った。中大兄皇子が武蔵の無礼を咎とがめようとしたのを、鎌足が大だい事じの前の小しょう事じであるとしておし留とどめたというエピソードも伝わっている。石川麻呂としては、借りを作ってしまった格好である。図 11 中大兄皇子と中臣鎌足の出会い談山神社所蔵『多武峰縁記絵巻』抜粋 提供:奈良女子大学図 12 南淵請安の墓(奈良県高市郡明日香村稲渕)写真提供:EditZ

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