Nakanooenooji_Nakatominokamatari
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第二部◎乙巳の変2828⑸ 乙いっ巳しの変 皇こう極ぎょく4年(645)6月戊申、クーデター決行の日である。クーデターの舞台は、飛あす鳥か板いた蓋ぶきの宮みや。板蓋宮は、広範囲からの人員を動員して造営された、当時最先端の画期的な宮殿だった。 皇極天皇が「大極殿」に出御する。大極殿という呼称は後代の表現・知識による潤じゅんしょく色と考えられるが、指している建物は板蓋宮中枢に存在した中心的な大型建物であろう。同じ建物の天皇の傍かたわら、蘇そ我が氏が次期天皇に目もくする古ふる人ひとの大おお兄えの皇み子こが皇極天皇に近きん侍じしていた。 入いる鹿かは、出かけに沓くつがうまく履はけず、縁起が悪いと出発を渋ったものの、督とく促そくを受けて宮殿に向かう。入鹿は用心深く、昼夜を問わず帯たい剣けんしていた。そこで鎌かま足たりは、「俳わざひと優」に命じて油断させ、剣を解とかせた。入鹿は皇極天皇の御す「大極殿」の斜め前の建物に入り、「座」に着いた。 やがて石いし川かわ麻ま呂ろが大門前の庭中、三さん韓かん進しん調ちょうの表ひょうを読み上げはじめる。読み上げが始まると、中大兄皇子は警備部隊に命じて宮殿諸しょ門もんを閉めさせた。刺し客かくに選ばれた佐さ伯えき氏・稚わか犬いぬ養かい氏や彼らに剣を用意した海あまの犬いぬ養かい氏(後述)は、いずれも門もん号ごう氏し族ぞくである。門号氏族とは、宮殿の門の警備に当たり、担当する門に氏族名を冠かんする氏族であるから、彼らとの関係を通じ、中大兄皇子は宮殿警備の実働部隊にはたらきかけた可能性も想定できる。警備部隊に「禄」を支給すると見せかけて、一箇所に集めていた。 中大兄皇子は長なが槍やりを持って、「大極殿」の横に隠れ、鎌足は、弓矢を携たずさえ援護にまわる。刺客の佐さ伯えきの子こ麻ま呂ろと稚わか犬いぬ養かいの網あみ田たには、海あまの犬いぬ養かいの連むらじ勝かつ麻ま呂ろが剣を用意して渡した。だが、この刺客の二人はすっかりおびえていて、食事も喉を通らず、はき出してしまう体ていたらくで、鎌足が必死に励ましたという。 この有ありさま様で、二人の刺客は入鹿に斬りかかることが出来ない。一方、表ひょう文ぶんも終わりに近づき、読み上げる石川麻呂は冷や汗をかいて震えだしてしまう。図 13 入鹿暗殺の図談山神社所蔵『多武峰縁記絵巻』抜粋 提供:奈良女子大学

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