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第三部◎大化改新3939なっている点は、中大兄皇子が政権内で重要な位置を占めていたことの反映という可能性も考えられるが、『日に本ほん書しょ紀き』編へん纂さんに関わったであろう持じ統とう天皇・元げん明めい天皇の二人の天皇が、天てん智じ天皇と石川麻呂の娘の間の子で、石川麻呂の孫に当たることから、祖父と父をつなぎ、名誉を回復するために強調した、あるいは何らかの操作をした可能性も否定できない。 いずれにせよ、この事件によって、孝徳朝で重きをなした左右両大臣がいずれも居なくなった。天皇専制が強化されたと評価できるであろう。 石川麻呂らが自経した山田寺は、発掘調査によってほぼその全ぜん貌ぼうが明らかになっている。建物の垂たる木き先さきには彩さい色しきした瓦による荘そう厳ごんがなされるなど、きらびやかな寺院である。回廊は、平安時代の土砂崩れによって倒壊して埋没したため、良好に遺い存ぞんして発見されたほか、金こん堂どう前では仏像を礼らい拝はいするための礼拝石も発見されており、石川麻呂自経の場所を正確に知ることが出来る。なお、飛鳥時代の金堂では、金堂は仏の空間であり、人間は堂どう外がいから礼拝する。金堂に安置されていた仏像は、現在は興福寺国宝館に展示されている、山田寺仏ぶっ頭とうがそれである。図 20 山田寺回廊再現(飛鳥資料館・奈良県高市郡明日香村奥山)図 21 山田寺垂木先瓦(飛鳥資料館・奈良県高市郡明日香村奥山)

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