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第四部◎近江遷都と天智天皇即位5151 天智6年(667)3月、近おう江み大おお津つの宮みやに遷せん都とし、翌天智7年(668)中大兄皇子はようやく即位する。近江遷都の理由は、内陸部に移って防衛に優位な土地を選んだという見方を筆頭に多様な見解が存在する。おそらくは複数の理由が存在していたと思われるが、特に近江が交通路上の要よう衝しょうであることに注目しておきたい。淀よど川がわを通じて瀬戸内海との連絡もよく、琵び琶わ湖こ水運を利用すると東海地方や北陸地方との連絡も良い。物資の大量輸送を想定した場合、優位な立地だと思われる。天てん智じ天皇は、強力な中央集権を目指し、それに応じた膨大な物資の宮都への集中を想定していた、という可能性も考えておきたいと思う。 さて近江朝廷は、後代には文学が興こう隆りゅうしたと認識された。日本最初の漢詩集・『懐かい風ふう藻そう』でも文学=漢詩の盛んな最初の時代として、近江朝廷を讃える。亡命百済人により一気に文化水準が高まり、また進しん取しゅの気き風ふうのもと政治が展開したことによるであろう。近おう江み令りょうもその存そん否ぴに議論があるが、近江朝廷に対して後こう代だいの人々が持ったイメージと重なる部分が大きかったと思われる。図32 近江神宮例祭の様子(勅使参進)写真提供:近江神宮 (滋賀県大津市神宮町)図 31 朝鮮半島の木簡

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