Nakanooenooji_Nakatominokamatari
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第四部◎近江遷都と天智天皇即位5353 ただ天智天皇に残された時間もさほど長くはなく、鎌足の死の2年後、天智10年(671)9月には病やまいに伏ふせる。この先の正月には、息子の大おお友ともの皇み子こを太だい政じょう大だい臣じんに任じており、皇こう大たい弟てい大海人皇子との関係はますます微妙になっていた。10月に病の床とこで、天智天皇は大海人皇子に後こう事じを託たくそうとするが、大海人皇子は固こじ辞して出家し、吉野へと去って行った。12月3日、天智天皇崩ほう御ぎょ。翌年には日本古代最大の内乱、壬じん申しんの乱が勃ぼっ発ぱつした。 鎌足の子息不ふ比ひ等とが活躍するまでは、いましばらく時が必要で、鎌足の伝記が書かれるまではさらにもう少し時間がかかった。天智天皇の子孫たちが、鎌足の子孫たちと、再び共に国作りに励はげむのは、この約100年後のことである。

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