筒井順永 つついじゅんえい

1419-1476(応永26-文明8)

筒井順覚(?-1434)の子。相国寺の僧であったが、家督を望んで還俗、嘉吉元年(1441)兄筒井順弘(?-1443)に代わって筒井氏の惣領となった。さらに兄の成身院光宣(1390-1469)や国人衆の支持を得、興福寺の代官ともいうべき官符衆徒(かんぷしゅと)の立場をも確保した。河内守護畠山氏の内紛では畠山政長方について畠山義就方と対立、また応仁・文明の乱では東軍に参じ、光宣の活躍もあってその主力となった。筒井氏発展の基礎を築いた人物と評される。