松永久秀像(『続英雄百人一首』より)
(所蔵および写真提供:人間文化研究機構 国文学研究資料館)

達磨寺
松永久秀の墓地がある。
(写真提供:王寺町観光協会)

松永久秀 まつながひさひで

1510-77(永正7-天正5)

はじめ三好長慶(1523-64)に仕えた。永禄2年(1559)に大和に入って信貴山城に拠り、筒井順慶(1549-84)の居城である筒井城を一時占拠した。以後、順慶と数度合戦におよび、筒井城争奪戦を繰り返した。翌3年(1560)には大和のほぼ全域を平定し、眉間寺山に多聞城を築いた。長慶死後は三好三人衆と対立し、三人衆が陣を置いた東大寺を襲撃した(東大寺大仏殿の戦)。永禄11年(1568)織田信長(1534-82)の上洛を機に従属。その後は信長の援軍を背景に順慶を圧倒したが、元亀2年(1571)辰市城の戦で順慶に大敗。同年、甲斐の武田信玄(1521-73)に通じて信長に謀叛を起こしたが、翌3年(1572)信玄の病没、将軍足利義昭(1537-97)の追放に至って多聞城を差し出し降伏。天正5年(1577)信長に対して再び謀叛を起こし、信貴山城に立てこもったが、織田信忠(1557-82)と筒井順慶の軍勢に包囲され自害した。