西方寺顕彰碑
西方寺には、五條新町発展の基礎をつくった松倉重政(重信の子)をたたえる顕彰碑がある。
(写真提供:奈良県観光局ならの魅力創造課)

五條二見城絵図(『諸国当城古城之図』より「大和 二見」)
松倉氏の居城であった五條二見城。
(所蔵および写真提供:広島市立中央図書館)

松倉重信 まつくらしげのぶ

?-1593(?-文禄2)

筒井順慶(1549-84)旗下の武将。松倉氏は、重信の父(左馬助)の代から筒井氏の配下として大和国内を転戦し、重臣としての地位を獲得していった。島氏・森氏とともに筒井家の三家老とされる。特に重信は、筒井家中「随一名誉の侍」と評された。順慶の養子定次(1562-1615)の伊賀上野への転封にともない、伊賀名張城に拠って8300石を領した。子の重政(?-1630)もはじめ定次に家老として仕えた。のち豊臣秀吉(1537-98)・徳川家康(1542-1616)に仕え、関ヶ原の軍功により大和五條1万石、さらに加増されて肥前島原4万石を与えられた。その子勝家(島原二代藩主)のとき島原の乱が起こり、寛永15年(1638)その責により改易された。