筒井定次像(『義烈百人一首』より)
(所蔵および写真提供:人間文化研究機構 国文学研究資料館)

筒井定次 つついさだつぐ

1562-1615(永禄5-元和元)

筒井順慶(1549-84)の従弟で、その跡を継ぎ郡山城主となった。天正13年(1585)豊臣秀吉(1537-98)の命で伊賀上野(20万石)に移され、羽柴の姓をうけた。文禄元年(1592)長崎でバリニャーノ(1539-1606)から受洗、キリシタン大名となった。関ヶ原の戦では東軍に属し、戦後所領を安堵された。しかし大和以来の重臣に次々と家を去られ、慶長13年(1608)家臣の中坊秀祐(?-1609)に不行跡を訴えられて改易となった。その理由は定次のキリスト教信仰とも素行不良ともいわれるが不詳。大坂冬の陣に際し、大坂方に内通したとの理由で自害させられた。