筒井定慶 つついさだよし

?-1615(?-慶長20)

福住順弘(筒井家からの養子)の次男とされるが異説もある。筒井順慶(1549-84)の養子となり、順慶の没後、大和郡山城に入った羽柴秀長(?-1591)に仕えた。秀長の没後は徳川家康(1542-1616)に仕えた。筒井定次(1562-1615)の改易により家名を継ぎ、1万石で郡山城番となった。大坂夏の陣の際、大坂方の大野治房(?-1615)に城を攻められ逃亡、大和福住村で自害した。ここに筒井家は絶えた。傍流は旗本・御家人として続き、幕末に外交面で活躍した幕臣筒井政憲(1778-1859)を出した。