本多利朝(俊政) ほんだとしとも(としまさ)

?-1610(?-慶長15)

大和高取城主。羽柴秀長(?-1591)・秀保(1579-95)に仕え、秀保の没後は豊臣秀吉(1537-98)の直臣に戻った。関ヶ原の戦に際しては徳川家康(1542-1616)に従って会津に出陣、その軍功により1万石を加増され、あわせて2万5千石が高取での知行高となった(高取藩主本多家初代)。子の利家(1598-1637、利長または政武とも)が嗣子なく没したため改易処分となり、本多氏の藩政は二代で終わった。その後、高取藩主は植村氏に代わった。