本多政勝 ほんだまさかつ

1614-71(慶長19-寛文11)

本多忠朝(1582-1615)の子。播磨姫路藩主であった兄政朝(1599-1638)死去の際、嫡子の政長が幼少であったため、政朝は政長成長後に家督を譲る旨を遺言し、政勝が跡を継いだ。政勝はその後大和郡山に転封されたが、政勝死後、後継者争い(九六騒動)が起きた。