本多政長 ほんだまさなが

1633-1679(寛永10-延宝7)

播磨姫路藩主本多政朝の次男。大和郡山藩主本多政勝の養子となり、寛文11年(1671)その跡を継いだ。政勝死去の際、相続争いが起き、幕府の裁断により所領15万石のうち9万石が嫡流である政長に、6万石が政勝の実子の政利(1641-1707)に分知された(九六騒動)。このことが両派の抗争を激化させ、政利に全所領を相続させようと目論む一派の画策によって政長は毒殺された。