本多忠平 ほんだただひら

1632-95(寛永9-元禄8)

陸奥白河藩主本多忠義(1602-76)の長男。白河藩主・下野宇都宮藩主をへて、貞享2年(1685)大和郡山12万石の藩主となる。延宝8年(1680)の大火で焼失した城下町の復旧にあたり、火見櫓を新設するなど防火体制の強化をはかった。また、はじめて藩札を通用させ、厳しい藩財政の立て直しにつとめた。本多家は忠平の後四代で断絶し、享保9年(1724)柳沢吉保の子吉里(1687-1745)が郡山に入り、以後柳沢氏の治世が廃藩置県まで続いた。