島左近像
(所蔵および写真提供:大阪城天守閣)

椿井城堀切
椿井城は島左近の居城であったといわれている。
(写真提供:平群町教育委員会)

島清興(左近) しまきよおき(さこん)

?-1600(?-慶長5)

大和椿井城を居城とした。はじめ筒井順慶(1549-84)に仕え、順慶の大和統一を支えた。順慶死後は羽柴秀長(?-1591)・秀保(1579-95)に仕えた。秀保死後は石田三成(1560-1600)に仕え、その有能さから「治部少(三成)に過ぎたるもの」のひとつに謳われたという。慶長5年(1600)関ヶ原の戦では西軍につき、9月14日、家康到着に動揺する西軍の兵を鼓舞するため、東軍の中村一栄・有馬豊氏両軍に奇襲攻撃を仕掛けた(杭瀬川の戦)。翌15日も西軍の先頭に立ち奮戦したが戦死。