高取城跡
高取城は、近隣の平地と比較した高低差(比高)で日本一を誇る。
(写真提供:一般財団法人奈良県ビジターズビューロー 写真撮影:澤戢三)

越智 おち

大和の豪族のうちのひとつ。出自に関しては諸説があるが、一説に、大和源氏の後裔である親家が、平家討伐後、その軍功により掖上・越智・根成柿・柏原の地を領し、越智姓を名乗ったという。鎌倉時代以降、春日社領の在地武士(国民)として大和南部において勢力を保持した。南北朝時代になると南朝につき、この頃高取に城塞を築いたという。当時大和は、郡山を拠点に大和北部を支配していた筒井氏と高取を拠点に大和南部を支配していた越智氏の両勢力に分かれたが、天文元年(1532)の一向一揆以降越智氏は衰退し、天正年間(1573~92)に滅亡したという。