十市遠長 とおちとおなが

?-1593(?-文禄2)

十市遠勝(?-1569)が嗣子なく死去したため、相続を争って十市家臣は分裂した。一方の親松永派は遠勝の後室を奉じて今井に退去、一方の親筒井派が一族十市遠長を擁して十市城に残った。遠長は、筒井順慶(1549-84)が織田信長(1534-82)に重用されることで有利な立場を得、旧領を大きく減らしながらも安堵された。筒井定次の伊賀移封に従わず十市郷にとどまったが、天正14年(1586)豊臣秀吉(1537-98)により追放され伊予に移り、その地で死去した。