本多正純 ほんだまさずみ

1565-1637(永禄8-寛永14)

江戸初期の武将、大名。本多正信の長男であり、父とともに徳川家康に重用されて側近となった。大坂の陣に従軍し、冬の陣後には大坂城総堀の埋め立て奉行を務めた。家康の死後にはその葬儀と日光東照宮の造営を指揮した。その後老中として、江戸幕府2代将軍秀忠に仕えて宇都宮城の城主となるが、将軍や幕臣の反感をかい元和8年(1622)に改易された。寛永元年(1624)、佐竹義宣に預けられ、さらに出羽横手に配流されて千石を与えられた。同14年(1637)3月10日横手で没した。同地の正平寺に葬られる。