修円 しゅえん

771-835(宝亀2-承和2)

平安時代前期、法相宗の僧侶。生まれは大和国(奈良県)で、姓は小谷氏。興福寺に入って賢璟に師事し、師とともに室生寺を創建する。最澄からは灌頂をうけ、『風信帖』に修円の名がみえることから、空海とも親交があったことが分かる。弘仁3年(812)には興福寺の別当(寺務を統括する僧官)となり、興福寺内に伝法院をひらいた。その後、延暦寺における最高位の役職である天台座主に就こうとするも、衆徒の反対にあい、室生寺に入った。承和2年(835)、室生寺にて没。弟子に寿広・徳一がいる。