伝足利義政像(伝土佐光信画)
(所蔵および写真提供:東京国立博物館)

足利義政 あしかが よしまさ

1436-1490(永享8-延徳2)

義教の子で、室町幕府第8代将軍(在職1449-1473)。文安6年(1449)4月、将軍職を継承した。はじめ弟の義視を後嗣にさだめたが、妻である日野富子が義尚を生んだため、後嗣争いが発展し、1467年に内乱がおこる(応仁の乱)。義政は乱中の文明5年(1473)に義尚に将軍職をゆずり、京都東山に移った。文明14年(1482)から東山山荘(銀閣)の造営を開始し、翌文明15年(1483)完成を待たずここに移る。延徳元年(1489)3月に上棟式を行ったが、翌延徳2年(1490)正月に56年の生涯を閉じた。この時代に東山文化が栄えたのは、義政が生来文化を愛好し文化人や芸能人を重んじて趣味風流の生活を送ったことが一因を担う。またこの時代には義政が禅僧を外交・文化の顧問として重用したことから、五山文学が栄えて宋学が流行した。